心動かされる歌について(音色について)
過去ブログの再掲です。
この記事は2016年、4年前に書いたものみたい。
でも、基本的な考えは変わっていません。
何もかも日々アップデートしていくべきものと思って生きている僕ですが、これは一生変わらないかも。
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今日は、僕が思っている「心動かされる歌」についての話を書きたいと思います。
コンサートに行くと、演奏には良い悪いがあるわけですが、特に素晴らしいと感じる歌には「本人の言葉として語られている」というものがあると感じています。
世の中のコンサートレビューとかを見ると「歌を自分のものにしている」とか、オペラやミュージカルの舞台だったら「○○に100%なりきっていた」「○○の人格が憑依していたようだった」とか言ったりしますよね。
別のジャンルでは、彫刻とかも「今にも動き出しそうな」とか「血が通っているような・生きているかのような」とか、そういった文章が傑作に対してよく使われていますね。
(ミケランジェロのピエタ。これ石なんですよ。)
以前の記事にも書いたと思いますが、僕が心動かされる音楽にとって大切だと思うのは「リアリティ」なんだな、と思います。
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人間の感情が生み出す音色というのはすごいです。
声を聞いただけで、その人が今どんな気分なのか、テンションが高いのか低いのか、怒っているのか悲しいんでいるのか、などなどが瞬時に判断できるわけです。
サプライズでプレゼントをしてとっても嬉しそうな声が聞けたら、気に入ってもらえて良かった、なんて風にこちらも嬉しい気持ちになりますし、
何か悪いことを言ってしまって人を怒らせてしまって、不機嫌な声を聞いてしまったら、悪いことをしたな。すまないな。という風にこちらも反省するわけです。
それは、音によって心を動かされる、という事に他ならないと思います。(必ずしも音だけではないかもしれませんが)
僕には、人生で最も心を揺れ動かされた音があります。
それは兄が亡くなった日のことです。
僕は残念ながら大学2年生の時の夏に兄を亡くしています。
ちょうど芸祭が始まる日だったかと思いますが、その日の朝は母の嗚咽の声で目が覚めました。
…最初は人の声だとは思いませんでした。
何か近所で動物が苦しんでいるのかと思いました。
それが母の声だとわかった時に、心の底を深く抉るような不安に襲われました。
不安に襲われた、といいつつも、僕はその瞬間に兄の身に何が起きてしまったのか理解しました。
それだけ、母の嗚咽の声には深い悲しみがこもっていたのです。そしてその悲しみの声は、一瞬で僕に全てを理解させたのです。稲妻が走ったようでした。
僕の人生の中で、あの声以上に心を揺れ動かされた音はありません。
断言できます。
生きていて、人はコミュニケーションをする中でたくさんの感情表現をします。
感情を伝えるツールの一つである声には自ずとたくさんの色が含まれることになり、その色合いこそが、自分の生命、相手の生命を感じさせてくれるものだと思います。
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リアリティというのは、生命力のことだと思います。
それが無い声というのは、生命力を感じられない彫刻と同じです。
人工物なんです。
音楽も彫刻も人の手によって「作られたもの」ですが、それらが生命を感じられる状態まで昇華されることで、はじめて心を動かせるものになると思います。
(ちょっと前に彫刻作品に衣類を着せてみる、という企画が海外であったのですが、こういう人いる!笑
ちょっと面白くないことでもあったのでしょうか?)
どれだけ綺麗でも、リアリティがなければ違う、と思うんです。
コンサートの感想は「楽しかった」「歌ってる人が楽しそうだった」「ワクワクした」「切ない気分になった」「あのフレーズで涙が出た」「ほっこりした」がいいです。
友人とよく話すことですが、コンサートの感想が「綺麗だった」ならば、それは本番としては大失敗なんだと思います。
前に書いた「いい声」と「すごい声」の違いと同じですね。
僕の定義では「いい声」にはリアリティがあって「すごい声」にはリアリティが無いんです。
まだ続きがあるのですが、長くなりそうなのでまた今度!
最後に、この記事を書いていて思い出した谷川俊太郎さんの詩より引用。
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「シャガールと木の葉」谷川俊太郎
貯金はたいて買ったシャガールのリトの横に
道で拾ったクヌギの葉を並べてみた
値段があるものと
値段をつけられぬもの
ヒトの心と手が生み出したものと
自然が生み出したもの
シャガールは美しい
クヌギの葉も美しい
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美術や芸術に関しては色々な考え方がありますが、僕が一人の音楽家として大切にしたいものがやっと見えてきた気がします。
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